連休期間に思うこと。

GW最終日となりました。ご来店いただきました皆様に感謝申し上げます。

明日、9日(月)より遠近は修繕工事の為に休業となります。よろしくお願いいたします。



 

 

旧店舗の頃は「呼ばれたら出ていく」スタンスでとにかく何処でも行った。チャレンジでもあったけど、これからの人生で継続してゆくような関係を多く残せなかったのは、自身の経験値もあるが人間的素養が足りなかったということだろう。それに自分の器量では、本気で付き合いできる人はほんの少しなのだということもわかってきたから(遅い!)社会と関わる実感を得られる範囲を自分なりに決めている。ここ数年はお店以外のお仕事も少しいただけるようになって、めぐる、の連載が10回目となったあわわさん、図録の制作が佳境となっている四国大学さん、東京の某社食の器をご相談いただいているフードハブプロジェクトさん(モノサスさん)には、大変お世話になっている。ありがたいことです。



ただ僕のことをよく知っている方や、このブログを覗いてくれている方はご存知の通り、残念ながら県庁との関係は最悪だ。新たな関係を構築する努力はしているが、あれだけお願いしていた次の担当を紹介してもらう約束も反故にされたまま。引き継ぎとはなんだろうか、こちら側の常識が全く通用しない県庁とのやりとりはただ削られる感じがする。

 

 

毎年、GWは「こちら側とあちら側」の温度差、世間との隔たりを感じる時期でもある。

僕の場合はずっと小売の現場にいるので、お盆や正月、そしてGW期間も基本仕事をしてきたから、この時期にお客様の立場になることは一切なかったしこれからもないだろう。渋滞する反対車線を見ながら店へと向かうとき、世間の大半と違う生き方をしていることを実感したりする。

 

個人事業主の皆さんならご理解いただけると思うが、僕らは生活をかけて仕事をしている。毎月決まった給料をもらえる仕事とは違うからどこかで「損をしないための予防線」を引かないといけない。金銭だけではなく時間や労力について。でも時にこの予防線があちらとこちらを分ける壁になること、いい仕事のための障壁となることもわかるから「その向こうに絶対価値がある」とわかる協業ならば損得考えず飛び込んで、自分が持っているものを差し出すのだけれど、結果「なんだかなあ」と傷つくことがほとんど。継続のために自分の生活やプライドを守ることは必要だ。お店やってる人は自分のペースを大事にして、どちらかといえば「閉じてる」人が多いのはそのせいだろう。それでも損しないように線引きして上澄みの仕事をしたとしても、なんの実感も持てないことはわかっている。だから50も80もなく100以上で飛び込む訳です。「どうせわからないんだからこれくらいで十分でしょ」という姿勢が見え隠れする人も店もつまらない。お客さんを騙している感じがするから。

 

わざわざあちらこちらと線引きする必要もないと考えたいが、自分の決めた「社会と関わる実感を得られる範囲」から少し外に出れば残念な人ばかりと出会ってしまう。仕事は人格の形成に関与する割合高いから、5年10年とあちらにいる人とは言語も価値観も噛み合わない。「あちら側」から上澄みだけ触っても、報告書だけ整えても「こちら側」で戦わないうちは実感なんかないから、現場に並走することなどできないし、生きると仕事は永遠に乖離したままだ。

 

独立してからは、仕事といえど休みとの境目はなく「日々、生きている」という感覚が続いている。当然、どヘタクソの自営業に「休み」なんて概念はなくて、トップとの距離を半歩でも数センチだけでも縮めたい、そんな思いでコーヒーを淹れ原稿を書き器を見つめ民藝について考え続けてきた。こっち側で戦う、これからも変わらない。



 

 

 


実家でもらったエピテンドラム、もうすっかり見頃は過ぎたのだけど、この時だけ父親が良い花を選んで切ってくれたから、お店もしばらく休業だし色のあるうちは置いておこうかと思った。父親は町役場に務める公務員で責任ある立場にあった人だった・・・こんな面倒くさいことを言う不肖の息子で申し訳ないなあと、、

頑固なところだけ似ててすみません。


 

 


5月11日 追記

 

「その向こうに絶対価値がある」とわかる協業ならば損得考えず飛び込む。

それって「公共私」の「共」の部分を作ること、本質的な「共」を作ることに熱量を投入し、「社会や価値観の変革を促す可能性を見出すこと」にこそ手応えがあると信じているからだと思います。