道徳的勇気の欠如

営業再開すると、店頭でお声掛けいただいたり、何人かの方からメッセージをいただいたり、ブログのアクセスが普段の10倍くらいになったり・・・思わぬ反応があるのは、県政や市政に不満のある方がいるのかなと感じますが、正直、あまりごっちゃにされたくはないという気持ちも少しありつつ、ありがたくご意見を頂戴しております。

 

 

県職員がディレクターのような立場になるのはNG、

わからないから丸投げしたいもNG、

何故それがダメなのかを、痛みのわかる外部の人間としっかり膝を突き合わせて考え続けることに正解がある。

 


僕はブログに↑こう書いたけど、おそらく行政職員らしき方から「何故ですか」と問い合わせをいただいたので、もう少し整理し噛み砕いて考えてみたい。あと追加すれば県職員が事業に関わる外部のクリエイターを選ぶのもNGだと考えています。資質のない職員が予算だけを振り回して担い続けると、その分野の人が育たない。痛みを感じず仕事をしている人が人を選ぶと間違う、特に県外からクリエイティブを招く場合は地元のクリエイターを介するべき。県外から招く人に「この人がいるから恥ずかしい仕事はできない」という関係と実感がない限りは、その人の能力を100%引き出すことはできない。公務員はあくまでも「調整役」であって、人選を含めた企画は事業者主導の仕事だと考えます。授業でも毎度話している気がするけど「デザインは発注者以上のものにはならない」ラーメンロゴもデザイナーの技量の問題ではなく、先ずは発注者側にこそ問題がある。藍に無知で愛情もない部署から発注すれば、もはや藍とはかけ離れたものができるということです。県庁職員はデザインの特性を理解していない。

 

県の文化関連の仕事をお手伝いしてみて感じることは、先ず、文化・未来創造課は「オーケストラ問題」以来、隠蔽体質であるということ。知事と距離が近く居心地の良い責任者は長く居座る反面、担当職員はくるくると変わり人は育たない。観光課や商工の事業には関わったことがないので実感としてはわからないが、藍関係者からいい話は聞かない。

 

最近は「文化観光」なる言葉が一人歩きしているが、民藝や工藝に関わる者としては「危ういな」と感じることが多い。もちろん県庁職員さんの中にも良いお仕事をされている方もいれば、長年お店に通っていただいているお客様もいます。だから全てを否定しているのではないけれど、藍に関わる事業については稚拙で県庁内に人が育つ気配はなく「責任者が自身の評価のために好き勝手やってる」「誰も指導できない」このような現状を変えたいのです。県として藍に大きく介入すればするほど、産業の実態とはかけ離れてしまうから、実感ある意見をこれからも発信します。


 



先ず、県庁職員の方には文化や藍、アートや工藝の分野について特別な教育を受けたり、前職で藍を職業にしていた人はいない。理解度が低いのは、藍や文化に関わることを直接的に職業にしていないから仕方がないとは思うが、自身が理解度が低いことを認め、その部分を補うような関係性の構築や学びの姿勢を持ちあわせていないことに課題があり、担当部署に長くいる責任者の意見のみが重用されて偏っていくことも大きな問題だ。

 

新任者が藍染研究会総会にやってきて「こういう事業をしますので協力してください」と罪なく言うのだが、(長くいる責任者に指示され言わされている)藍について知識のない人間が、500万もの巨費を使って藍の展示をするという軽々しさを受け入れることはできない。

 

右も左も分からない職員を盾にして、裏から身勝手な企画を実行させ、時には失敗の尻拭いまでさせ自身は説明の場には出てこない。裏切り、嘘をつき、約束を守らず、説明責任を果たさない。僕は文化・未来創造課の伊澤弘雄という人物について、県庁職員としてだけでなく人間として絶対に許すことはできない。このような人物が新ホールの建設にも関わっていることが信じられない。このままでは愛されないものができるだろう。

 

組織内での自分の評価を優先する人間が、ディレクターのような立場になると様々な問題が起こる。派手さのある催事を好み常に「知事が」と言う。選挙で選ばれた人が正しいことをするとは限らない。会社員なら上長に従い組織の求める仕事をするのは理解できるが、公務員の場合はどうか?県庁職員なら県民のために仕事をするべきであって、組織の為に何かを隠蔽するような仕事に加担すべきではない。彼らの人件費や予算とは私たちが納めた税金だ。オーケストラ問題と関係するイベント会社に変わらず事業を落とそうとするのではなく、僕らは違う予算の使い道を提示したい。

 

県職員は藍や文化だけが仕事の対象ではないし、異動があり中途半端な理解しかできない。都合が悪いことは全く議論しないし、勉強する姿勢を感じない。もちろん僕の店には来ない。店に来て手仕事でもデザインの仕事でも何かを買って使ったり、コーヒー頼んでここに置いてる本を読んだりしない限りは、僕が何故このような取り組みをしているか、藍を大事にしない職員に怒りをぶちまけているのか永遠に分からない。狭い組織の中で組織の常識に染まっている人間は、創意工夫など必要なく楽に生活できるが考える力を無くす年齢だけ進んで考え方は取り残されたままで、僕らと成長曲線が違うことをまざまざと感じる。

 

 

① 県庁職員は藍についてわからないから、表面的な理解のまま事業を企画してしまう。

② 理解がない、関心がない、リスクがない、責任が問われない、誰からも指導もされないが予算だけはある。

③ ②の痛みを感じない立場で現場との関係構築もなく企画をするとどうなるか?

④ とくしま藍の日やロゴマークは、必要かどうかの議論なく決められているが②の職員は正しく判断できない。

⑤ 受注者が発注者のズレた理解を具現化してしまう。デザイナー・設計・映像作家は要注意@片棒かつぎ

⑤ ④含め、様々な企画で作られたものが何年か経つと放置されている。痛みを感じない。

⑥ 県庁職員はあくまでも調整役であってイベント屋や企画屋ではない。事業の外枠は民間と共に作るべき。

⑦ わからないから丸投げしたい→例の「一般社団法人を作ってそこで消化しよう」

⑧ わからないから丸投げしたい→「あの一般社団法人が言うこと聞かなくなったから別の都合のいいのを作ろう」

道徳的勇気の欠如=事業の失敗を認めず、検証や反省のないまま、すぐにまた別の企画をやろうとする。

⑩ 目的と手段が入れ替わっている=本来の目的は何だったのかを考え検証する必要がある。

 

 

 


駐車場の隅で育てた藍を刈りました。

渡し舟さんのリクエストで、昭和村に送ります・・・乞うご期待??うまくいくかな、、

 

 

 

  

少し余談ですが、先日NHKスペシャルを見ました。ものづくりに関わる者として戦争関連のドキュメンタリーはなるべく見ることにしています。僕はお店はじめたきっかけが、9.11の同時多発テロの破壊の現場を見たことや、その後に伺った出西窯での創造の現場の眩しさであったからです。数年前には、キヤリコの小林史恵さんから「インパール作戦」の話を聞き当時インドとの関係がどういうものだったかを調べましたが、その後のビルマ戦線のことについては、あまり知識がありませんでした。

 

番組冒頭でイギリス軍司令官は「日本軍指導者の根本的な欠陥は『道徳的勇気の欠如』であった。自分たちが間違いを犯したことを認める勇気がないのである」と述べていた。人の命を何とも思わず、痛みを感じない司令官には怒りが込みあげてきたと同時に、「道徳的勇気の欠如」とは、日本の組織の病気のようなもので、いまもこの国の政治は変わっていないと感じた。

 

なんで今、この話をここで書いてるのかおわかりですか?

事業の失敗を認めず、検証や反省もなくまた次の企画をやろうとする、藍がもう触れないから投げ出して、浄瑠璃行ったり、新ホール行ったり・・・呆れる。検証や反省もない者を野放しにしていたら他でも必ず同じ問題が起こる。

行政の弱点は検証できないことだ。批判を恐れ良かった事だけしか報告しないのは病気だ。できなかったことも、不備があったことも検証して報告すべきだ。そして謝罪しない限りは、協力する事業者がいなくなり、視野はさらに狭まり同じような失敗が次々と起こる・・・既にそのスパイラルに陥っている。

 

戦争の構造がどうだったかを勉強会でやった方がいいような気がするけど、、もはや「藍の勉強会」と言えるかどうか、、どこからやらなあかんのか、気が遠くなります。


 

 


 

 

ご質問いただいた方へ。

 

こんな理由で、県職員がディレクターのような立場になるのはNG、わからないから丸投げしたいもNG、

ということです。 そして県職員だけで事業に関わる外部のクリエイターを選ぶのもNGです。公務員の方は必要な能力を有するクリエイターやその仕事を嗅ぎ分ける力もなければ、クリエイターの能力を100%発揮させることもできない。それができるのは、自分の力で生きている僕ら地元の事業者であり、この土地で事業を続けているという信用なのだと僕は思います。県職員が上澄みの知識で予算をチラつかせても、本丸は落とせなかった。新ホールが愛されるものになる予感はない。

 

純粋な「何故ですか?」の中には、「知らずのうちに上から見ている」公務員にありがちな潜在意識がある。

強くお返事をするようで申し訳ないが、先人の積み重ねてきたものを公務員が好き勝手に使うような行為を許せるはずがない。あなた方は自分たちが「特権階級」なのだと勘違いをしているし、想像力が足りないと僕は思う。

 

自分がやれると乗り出しても、使っているのは「公金」であって自分の力ではない。今、徳島県がやっている藍関連の事業でいいのなら学生に任せればいい、まだその方が若い人の中に経験が残る。県職員がそういった経験をすることもいいけれど、それなりの給料もらって休暇もあるのだから、自分で金出して時間も作って経験するべき。

そういった志のある職員だけが藍を伝えるに相応しい。仕事はいつでも「業務」として捉え、休みの日は趣味全開。そんな自分自身と離れたところに仕事がある人は藍や文化を伝えるには向かない

 

でも僕らはそれで全く構わない。生き方は違えど悪いことだと思っていない。ただ、だからこそ僕らに託して欲しいのです。 僕らは仕事と生きるが一体で、藍は業務ではなく、仕事であり使命なのです。

 

それと「自分の評価のために藍を使おうとする人」は論外。この世界から退場してほしい。

儲けたいとか、有名になりたいという意識で「藍をうまいこと使ってやろう」というのはそもそも間違い。関わるのであれば、「あなたが藍に対して何ができるか」ということが問われる。

 

僕は信念を持って発信しているけれど、正直、お店の商売にはプラスにならない。むしろマイナスだ。

行政にこれだけはっきりもの言う人いないと思うし。一般の方は「引く」でしょうね、、ただ、会社組織にいる人や行政から仕事をもらっている人は「おかしいな」「違和感あるな」と感じていても生活かかっているから言わないだけ。僕の周りには藍に真摯に取り組む人がいるから、県職員の方は地元の事業者や地元クリエイターと関係を作り、藍に関わる人がどのような仕事をしているか見た方がいい。黒塗りの報告書を平然と出してくる県庁職員が、県庁職員自身の事業の検証などまともにできる訳が無いから、事業の検証は外部の事業者を交えつつ時間をかける必要がある。反省しないまま、次々と職員の自慰行為のようなしょうもない事業をやる必要はない。予算消化したいなら、僕らを呼んで反省会したらいい。人並みの時給出してくれるならいくらでもダメ出しできる。批判を恐れてはだめだ。

 

 

 

僕の父親は神山町の職員でしたが・・・僕の年齢の頃はいつも激しく怒っていました。

今は父が何に対して怒っていたのか何となくわかりますし、僕は父や父が神山に残した仕事をとても誇りに思っています。変なパーティみたいな事業とかじゃなくて、共に後に続く人の道標となるようないい仕事を残しましょう。

万博で恥をかくのも嫌ですしね。





川内中学校で「叩き染め」のお手伝いをさせていただきました。

大きなひまわりの下で、藍は控えめに育っていました。


先生方も「育てた先がわからないけど」と言いながらも水をあげてくれています。(先ずは育ててみるという感じ)

教育の現場に居合わせると「藍が求められている」ということを肌感覚で実感する。

本当の意味で社会と繋がれば、事業として企画するべきことはいくらでもあるが、組織の中で快適に閉じこもっている人間にはいつまでも見えることはないだろう。

 

仕事とは、自分の課題と社会の課題が重なるところにあると改めて感じる。

 

徳島県藍染研究会主催の勉強会「繋ぐを考える 03.」一般の方にも少し枠があるので、次回のブログでご案内します。

「道徳的勇気の欠如」 長々と読んでいただいてありがとうございました。