糸染め

池本窯の池本惣一さん(正確には池本くんのお母さん)から依頼を受けまして、綿糸を染めています。

これ春に預かったからそろそろ仕上げねば・・・(紺屋の明後日とはよく言ったものだなー汗、)

 

 

 

 

しばらく染める時間がとれなかったので、染料に触れるのは久しぶりだったけど、その対話はやはり楽しいものです。

特にステンレス槽での藍建ては、槽の導入や設計にも関わらせていただいたので、また違った喜びもあります。

ステンレス槽だと灰汁が噛み込みにくい印象があります。槽が深いため不純物の少ない上澄みで染めることができているのかと考えることもできるけど・・・謎が多い。ただ藍建てを菌だ発酵だと言い出すとキリがないし胡散臭い。酒や味噌醤油と一緒に並べて、その部分だけ切り売りして語るのは抵抗があるし、発酵とかSDGsを看板にして売り物にすることと、ものづくりに関わって良い最終製品を生み出すこととは目的が違う。僕らにとっては、発酵は色を出すための手段で、SDGsと言われたら「ああそうなんですか」程度の過程に過ぎない。表向き企業が目指すべき指標としては、ある程度の意味があるだろうけれど、わざわざブランディングに使うのは痛々しいし、アルファベットの記号を押し付けられるだけで、もし学生諸君が本質的な理解のないままだとしたら気の毒でならない。価値を育てるのではなく消化している感が激しくから、3年後5年後にそんな言葉は残ってない気がする。それにSDGsと謳う人々はその言葉が無くなってもなんとも思わないだろう。僕ら藍に関わる人はそうじゃない、藍が無くなると悲しい。SDGsと藍はそこが決定的に違う。つまり愛がある。それから発酵のことは真の研究者の方にお任せすればいいと思う。いかにも細部で内側のことのように思えるが、発酵というその事象を外側から見ているに過ぎない。(しかも上から目線な気がする)江戸時代に発酵とかいう職人はいなかったのだから、あくまでも知識による外側からの理解と裏付けだと言えるし、どちらかといえばデザインと似ている。その外側を知って整えることも必要だけど、僕の理解では「良い最終製品」を「生み出す」こととは違う。良い製品を内側から生み出す為に、作り手と並走してゆくことが僕の仕事だ。

 

 

いろいろ書いてますが、あくまでも僕の個人的な所感です。

ただ、誰かが言わなければ、発信しなければ、これまで通り「使える」「儲かる」ばっかりの輩が「土足で上がり込んで荒らす」それが個人なら自己責任で構わないが、行政や経済に偏った大きな組織だからタチが悪い。そして消化するばっかりで反省もしなければ責任も取らない。藍をPRしたいのか、自分が目立ちたいのかわからないし、使うだけじゃなくてこの世界に何かを返せよと、育てる努力をしろよと僕は言いたい。

 

 


毎回、作業が終わった後は「プールのあとみたい」になるので、、その日はよく眠れます。

この仕事を生業としている方々は、日々この作業を続けているのかと思うと、、気が遠くなります。

 


instagramにも書いた「知識は遠くから眺めているだけで、内に交わる力とは違う」これは柳宗悦が言ってることなんだけど「内に交わる力」とはどういうものなのか?僕はお店や勉強会を通じて考え続けたいと思っている。


よく生きるための装置」「内に交わる力」こうして時間がある時にブログを書くことにしているけど、ぽろっと言葉になって進むべき方向が見えてきたりする。やはりアウトプットすることが大事ですね。