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画像生成AI


きちんとした技術を身につけるために誠実に努力している人はどうなるか?40過ぎたいい大人がそういったことを考えずに欺くように世に出すのはどうだろうか、自分が努力した経験があればもっと周りが見えているんじゃないかと僕は思う。愛情のベクトルが自分に向いてる典型かと思ったらまたその職業かとゾッとした。


1年程度でこういったものが出てくるのだから、人が新しい技術に対して追いついてないことはわかるが議論は尽くされていない。審査員側が体裁を整えるためにこういったものを開き直って選べば、徳島の人を若い育てることに繋がらないのではないか。

 

10年ちょっと前だけど、文化の森で震災をテーマにしたポスター展を開催していたことを思い出した。福島県からリアルな血液が流れているポスターを見て、被害を受けている人に寄り添っているようには感じることはできず、怒りを覚えると同時に悲しい気持ちになった。(去年のポスターについても同じ感想を持ったが技術だけ見て選んでいる審査員側に問題がある)実際に戦争や大災害の現場に立てばそんなものは安易に作れないと僕は思う。イラストレーターやフォトショップも技術は技術でしかなく心や知性は必ずしも伴わない。

 

 

いずれはデザインやアートの授業もAIの技術を教えることに変わってゆくのだろうか。

AIを使いこなす技術を育てたいのならそれでも構わないと思う。

ただ人の作るものとは別枠を作るというのがベターな気がしますが、皆さんはどう思いますか?



 

8.9 追記

 

誰もが「ちょっとおかしくない」と本音では思っていることが罷り通るのは、ほとんどの人が地元の文化や芸術に対して無関心であり、本気で関わることを諦めているからだと思う。このポスターや芸術ホールの迷走はその象徴だろう。向上心がある人であれば、厳しくとも自分を高められる場所に自分をおきたいはずだし、そんなこれからの若い人が自分のベクトルを地元に重ねることができないのは、これまで担ってきた人、その後に続いた僕らの世代の責任でもあるだろう。低レベルでぬかるみに足を取られながら戦う覚悟はあるか?

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