株式会社あわわ より発刊された「めぐる、2」2021.1-2月号に寄稿しました。
Made in Local. vol.2「さよならの向こう側」と題し、鳴門市にある(あった)鳴門市市民会館を題材としている。
淡路島出身の建築家・増田友也は、鳴門市に19の公共施設を残した。
1961年に竣工した「鳴門市市民会館」はその建築群の中でも最初に建てられたもので、最高傑作のひとつだといわれているが、老朽化を理由に解体が決まっていた。
解体か保存かについては、徳島新聞でも何度も取りあげられていて、記者Kさんの並々ならぬ気概が伝わる記事は印象に残っている。
最初は解体が決まってしまった市民会館ではなく、文化会館(こちらも増田友也の傑作建築)について書きたいと考えていたのだけれど、市民会館最後の内部公開イベント「じゃあ、ね。」に伺った時、このイベントを中心となって企画運営していた、鳴門市在住の建築家・福田頼人さんとお話しさせていただいて、ぐっと心が動いた。
photo : NAMAZU
そして、フォトジャーナリストの生津勝隆さんから送られてきた写真は、いわゆる建築写真ではなく、市民会館の内部に西陽が差し込む様子で「もうこれ以上撮れない」とコメントが添えられていた。もう阿吽の呼吸としか言いようがなく自然とタイトルも決まった。
おそらくヤングな皆さんにはピンとこない(ちなみに僕もかろうじて記憶にあるくらい)かもしれないが「さよならの向こう側」は、山口百恵の楽曲で、作詞は阿木燿子、作曲は宇崎竜童の名曲である。そして鳴門市市民会館でのコンサートは、婚約発表から1週間ほど後に開催され盛りあがったと聞いた。
茅葺き屋根の民家や、煉瓦造りの建物であれば、保存や移築の議論になりやすいが、戦後に建てられたモダニズム建築は、耐震できないことを理由に解体されているケースが多い。
手仕事感が伝わりにくいこともあるのだというが・・・つまりは「どこがいいのか全然わからない」というのが一般的な感想なのだと思う。
例えば、同時代を生きた、丹下健三が設計した建築物であれば、保存の議論にもなりやすかったはずだ。
価値のわからない人ほど他で作られたブランドや徴には弱い。
「建物を愛するための仕組みを生み出せなかった」という事実からわかるように「他のどこにもない個性」に気づかず、自分たちでは価値を作れなかったという事実から目を背けることはできない。本当のブランドとは自分たち自身が愛情を持って育てるものだ。アウトソーシングしてできるものではない。
竣工された時代は違うが、沖縄の名護市庁舎を訪れたときのことを思い出す。
その日は非番で、犬の散歩に来ていた市職員さんが市庁舎について熱ぽく話してくれ、案内までしてくれた。その人が自分の職場を心から愛していることが伝わってきて嬉しかった。沖縄は戦地だ。その言葉のひとつひとつに重みがあったし、厳正なる公開設計競技を経て誕生した「沖縄らしさ」を纏うおらが町の公共建築に対する誇りがあった。
"その建築家の気概を後世に伝えてゆくことは、戦争への痛切な反省を忘れないことにも繋がるはずだ"
戦争やその時代ついて学ばなくては、モダニズム建築の価値はわからない。
モダニズム建築の良さを理解できないというなら、
それは戦争を遠く自分とは関わりのないことと捉えているのではないか?
全ての人がそうではないとは思うが、
今の政治家や行政職員は戦争についてもっと学ぶべきだ。
歴史や先人の仕事から学ばなければ、いい仕事をすることはできない。
自分自身がそんなにできた人間ではないから、そのことを棚に上げて言うのは申し訳ない気もするが、会食して居直りするのも、出せない公文書があるのも「自分たちは特別だ」というお上意識が甚だしい。ステーキ会食はセーフで、銀座のクラブはアウトな線引きがわからないのと同じくらい、請求した公文書が一向に出てこない理由も全くわからない。
銀座のクラブやキャバクラに行きたい気持ちならわからなくもないし、、そういったお店も経営的に苦しいのもわかる。ただ、その前に果たすべきことがあるだろう。僕は心ない仕事には賛同できない。
本文でも紹介した福田頼人さんには、本当に頭が下がる。
解体が始まってからというもの、鳴門市市民会館についての報道は明らかに増えたことからも、福田さんが粘り強く価値を伝えて続けてきたその活動は評価され、実を結びつつあると言ってもいい。
福田さんご自身も「建築のおくりかた」について増田建築で学んだと、設計者も無理に使うのであれば、賛同しないと思うと。そして、今回のイベントを通し沢山の人と繋がったことが私たちの何よりの財産であるとも。発刊後にはそんなメッセージをいただいた。
市民会館は解体されてなお、地域を愛する多くの方の心と記憶に残る。
僕自身もそのひとりになれたことを嬉しく思う。
こんな世の中でも地域を明るく照らす人がいる。
さよならの向こう側で、またご一緒させていただけると嬉しい。
神山町の地方創生事業の視察に同行した時に、働き方研究家の西村佳哲さんに
「モダニズムと民藝を一緒に取りあげるのはどうして?」と尋ねられたことがある。
長くその答えがわからなかったが、今回の寄稿を経て、実感を持って僕なりの考えがまとまってきた。自分自身でもその気づきの遅さに呆れるが、、直感として感じること、心が動くことこは大事だが、仲間と仕事を進めるなら、その「心の動きに対する裏付け」を逆算し体系的に説明することも大事だと思う。
それができなければきっと「いいデザイン」はできない。
西村さんは僕に学びの機会を与えてくれているのかなと思うし、
遠近のテーマであり、ブログやこの連載のタイトルともなった Made in Local. という言葉を生み出してくれたのが、西村佳哲さんその人なのです。
次回に書こうとするテーマは決まっている。
大作になる・・・と思う。
Comentarios