お店をはじめた頃は。
- 東尾 厚志
- 7月24日
- 読了時間: 3分
更新日:7月29日
万博に出場するのが夢だった。(ホントです)
元々、大阪万博への憧れが強かったし、神山町や徳島県の事業に関わったことや、民藝の持つ地域性に自然と導かれた部分もあっただろう。"もうオリンピックは出られないけど万博ならいけるかも!"と、徳島県や民藝という立場から何か関わることができればいいなと思っていた。
現在開催されている関西万博のことを否定はしないけど、個人的にはもやもやとしている。
道路が陥没したり、能登で水道が通らないところにカジノがチラついたりすると「いまそれをやるべきなのか」疑問は残る。一方でこれほど多くのトップクリエイターが関わり、潤沢な予算や人工をかけてこれだけの魅力的な展示や教材が揃う機会は、もう僕が生きてるうちには無いだろう。学生はもちろんどんな職業の人でも学べることが多いはずだ。大きな予算を投入しないと実現できない世界はある。
ただ、自分の中で "もやもやすること" に片目を瞑れないというか・・・
一方では、僕の周りにもいろんな立場から関わっている人もいて(多くはないけど)どのブースも懸命な仕事の上に成り立っているはずだから、それらの仕事は絶対に否定はできない。
だからたまにタイムラインで圧倒的な木造の大屋根を見かけると、気持ちの置き場がないというか、
あっちへ、こっちへと心が振られ疲れてしまうから、最終「もう何にも見たくない」ってなります。
そもそも行かないからリアルに体験できないし。それを信じてる人が関わる世界だと割り切るように努力している。
行政の絡む巨大なイベントは、自分が普段やってる仕事とかけ離れていて、その業務ついて想像ができない。
それは、ものをお金に替えて「稼ぐ」ことと、あらかじめある大きな予算を「使う」という両者の仕事の質の違いかなとも思う。どちらが良い悪いではないけれど、行政からの仕事は伝統文化に対しで外側から関わる要素が強いから、きっとデザインとは相性がいいだろう。
1970年の大阪万博の民藝パビリオンは現在の「大阪民芸館」で、自分のお店を構想する時に最も影響を受けた場所のひとつだ。今回の関西万博に「民藝関係者」の参画を聞かないのは、(僕の知る限りだけど)もちろん時代の要請はあるだろうけど、普段から伝統文化に対してより内側から関わっているからこそ、その心の声に敏感になれるのではないかな。
これだけの大きなイベントになると、自分たちが日々重ねていることや政治に対する違和感も簡単に吹き飛ばされていく。こんな寂しく悔しい気持ちは変わらず持ち続けながら、(または交わらないものを手放した方がいいのか悩みながら)自分のできる仕事を一生懸命頑張ろうと思っている。

来月、参画する高島屋さんのイベントチラシが届きました・・・うーんこりゃ気が重い、、
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