藍の日に思うこと


駐車場の片隅で育てた藍をドライにして、岡村吉右衛門「四国の民藝」と一緒に飾った。

「なんとなく青いでしょう?」という会話をお客様と交わすのは、この店のお約束で僕の持ちネタでもあります。

 

 

 

 

 

さて、僕はこの特定の団体だけを批判しているのではない。

ただ、この一般社団法人が「県事業の下請け団体」を公言することにどのような問題があるか考えてみた。

 

 

先ず「徳島県の意識」「県庁職員の良識」に問題があると考えている。

県の事業委託は本来競争性が担保されるべきであるが、あたかも独占的な立場を与えられているかのような印象を受ける。下請けという言葉は、主体性や自立性の全くない団体であることを示しているだけでなく、あえてインターネットを使い世界中にアナウンスする点においては、競争性公平性に対する意識は低く、罪の意識もなく、その姿勢を改善する意向もないことを示している。僕は徳島県民として、藍に関わる人間としてとても恥ずかしいと感じた。

 

つまり問題は県が事業を進めるにあたり都合の良い団体として、独占的な地位を与えているように見えることだろう。

団体側の一方的な主張であると捉えることもできるが、実際に県事業の委託実績も複数あることから、徳島県側がそうした「団体の姿勢を容認した上で利用している」かのような認識を与えている・・・事実そうだ。

 

自分で稼ぐ必要のない人間と、今月の支払いで悩む人間とはお金に対する認識は全く違う。事業を委託する側も受託する側も「公的な資金」を使う責任はあるはずで、本来はそうした資質を持ち合わせている人間が県職員のはずだ。藍に関わる側からこうした意見が出ても、県庁内に職員を指導できる機関はなく、事実上、観光と文化の担当責任者は野放しとなっている。ここにも何度も書いてきたことだが、痛みを感じない人間は先人が積み上げてきた文化に寄り添うことなどできないのではないだろうか。そもそもどう考えても「県の下請け団体」などありえない。そして県庁にあれだけ沢山の人間がいながら誰も気づかないのは何故か??つまり、興味や関心がないということだ。県庁職員にとって藍などどうでもよいものだから、大事にしようとする意識などないのだ。より良い事業者を選び事業を託そうとする姿勢は完全に微塵も感じない。

 

このように行政側が主導し、安易な予算の消化先として一般社団法人を設立するロジックが横行しており、他の市町村に追随したような例がある。行政の下請けありきで設立しようとする団体への「安易な認可」には強い疑念がある。審査を厳格化するべきだ。委託側が都合よく消化できれば良いという姿勢、受諾側の無知や勉強不足は、共に揃って「痛い」。そこに外部からの視点はなく、自分たちが「痛い」ことに気づかない。このような軽率でマイナスの意識の積み重ねが、徳島県や阿波藍の価値を下げている。何より自覚症状の無いことに対し強い憤りを感じる。

 

 

はっきりと伝えたい、徳島県はその意識の低さを反省するべきだ。

 

 

そして、ダメなことをダメと言わない、ことなかれと見て見ぬふりをしている関係者も皆が同罪だ。

この部分は自由でいいとは思うけれど、沈黙して自分だけ安全圏にいても、この世界が良くなるはずがないというのが僕の考えだ。

 

7月24日は「とくしま藍の日」だった。

東京オリンピックの開会式が行われる予定だった日で、藍には全く関係のない日。

あのロゴにしてもそうだが、藍には関係ない県庁職員がなんでそんなこと勝手に決めるんだろうか、、先人の積み重ねてきた文化といわれる領域に土足で上り込んでる意識はない。

 

社会や文化に対する良識、藍に対する愛情を誰も教えて教えてくれないのなら僕らの主宰している「藍の勉強会・繋ぐを考える」に来ればいい。儲けたいとか、有名になりたいという意識で「藍をうまいこと使ってやろう」というのはそもそも間違い。関わるのであれば、「あなたが藍に対して何ができるか」ということが問われる。

 

僕は徳島の藍についてならひと通り説明できる。今年の7月24日は、たまに自転車できてくれる徳島大学の学生二人に、駐車場の隅で育てている藍を見てもらった。小さなことだけれど、続けている。自分が続けている藍に対する小さな日々の取り組みが、500万円かけて文化の森のホールでLEDでギラギラ照らす展示よりもずっと価値があると信じている。藍の日もロゴも「ありき」で進めるのではなく本当に必要なものかどうか検証するべきだった。そして、実際にどうであったか費用に見合うものであったか、現場の事業者がどのような意見を持っているか検証し見直すべきではないのだろうか。今年は県の文化・未来創造課の主催イベントはなかったようだが、何故かはわからない。本質的な協力者がいなくなっているのは事実だが、これからも関係各課の動向を注視していく。

 


 

 


「藍色はとくしまの色」・・・これも公のアナウンスするコピーとしてはやや横柄かなと、、

他の産地への配慮や遠慮がある方が各地にある「藍」との関係を作りやすい。徳島さえ良ければいいというのは、蜂須賀さんの時代、つまり江戸時代のままで進歩してないと思うのですが、皆さんはどう考えますか?

 

安全圏にいる人は想像力が足りない。

店の立場から言えば、染料だけでは最終製品は作れないのだから、他の地域との協業にこそ注力して欲しい。

 

 

 

 


僕らがやってるのは「業務」ではなく「使命」だ。

あまり軽く乗っかられると迷惑だから、県職員に意識の改革を求めることは、これからも一貫して変わらない。

 

何度でも言うけれど、県(行政)が身勝手な企画をして、事業者に対し「協力してください」という姿勢は間違っている。県庁職員は藍のことはわからないし、本質的に関心を寄せることなどない。藍のことをわからない人が藍の企画など絶対にできないし、事業者にその世界の価値を下げるような行為の片棒を担ぐような役割をさせてはならない。そして県庁職員が藍を県庁の内部向けの評価のために利用するなど言語道断だ。

 

僕らが県の事業を手伝っても藍は育たないのだから、

県が僕らの事業を手伝うことが、正しく健康的な姿だと僕は思う。


 

 

 

 

 

8月11日(木)追記

 

営業再開すると「ブログ見たよ」と何人かのお客様からお声掛けいただいた。

確認すると、この一般社団法人のFBページの基本情報は変更されている。何かに気づき襟を正していただいたのであれば、藍の関係者の一人として嬉しく思う。

 

リスクもない立場から、誰からも指導を受けることなく伝統工芸や伝統産業に関わると、その責任を感じない。


だから県職員がディレクターのような立場になるのはNG、わからないから丸投げしたいもNG、何故それがダメなのかを、痛みのわかる外部の人間としっかり膝を突き合わせて考え続けることに正解がある。行政はあくまでも調整役であって、行政自体に文化を発展させる力はない。県庁内で守られた責任のない職員だけが話しても「とくしま藍の日」とか「ラーメンロゴ」とか「LEDビカビカ」とか「コードみたいな」とか・・・汗、他もいろいろあるけれど、とにかく疑念のあるものしか出てこない。そこに罪の意識なく群がる奴らもこの世界に何かを返そうとはしていない。特にデザイナーはその仕事の特性から「何かの片棒を担ぐ可能性が高い」から気をつけて欲しい。

 

 

徳島県藍染研究会は「阿波藍と灰汁建ての振興」を目的としており「県事業の下請け」を目的としていない。

そして徳島県藍染研究会の主催する勉強会「繋ぐを考える」は、次世代への技術や歴史の継承を目的としている。また徳島の藍に関わる者が立場や所属を超え、その価値について 議論し、信頼関係を構築する場づくりでもあり「徳島の藍を伝えるという仕事」の主体を、私たち自身の手に取り戻す運動でもある。