top of page

道標

株式会社あわわ より発刊された「めぐる、3」2021.3-4月号に寄稿しました。

Made in Local. vol.3「道標」と題し、当店にある版画「四国の民藝」を取りあげました。

 

当初は、後の4号で書くことになる「ある題材」を調べていていたのですが、

100%の確証が持てなかったことから・・・これは、まだ書けないなと判断しました。

 

この「四国の民藝」については、連載が決まった時から候補として挙がっていて、ちょうど3号の特集内容が「紙で伝える」ということだったので、順じた題材であれば、全体の説得力も増すかと考えました。

基本は特集内容に関係なく、徳島に関連する題材を提案させてもらっていますが、このvlo.3では、自分が毎日眺めている作品について、深掘りしてみることとなりました。

「四国の民藝」岡村吉右衛門(1977)/photo 生津勝隆

 


先ず、小金井の師匠ことヨシタ手工業デザイン室の横須賀雪枝さんには、いつも何かあったら相談させてもらってます。「民藝」「デザイン」についてもっと知りたいと思うようになったのは、雑誌民藝の編集に関わってきた横須賀さんの影響が大きい。

 

岡村吉右衛門のことを知ったのも「ヨシタ手工業デザイン室」を訪れた時に、多摩美術大学美術館の図録を見せていただいたのが初めてで、そのすぐ後に、本文中に出てくる「骨董屋の主人」こと真庭市の「さんはうす」のオーナーにこの版画を押し付けられるという・・・何とも嬉しいご縁があったことを、そのまま記事にしました。

 

実際、遠近には看板がないので、この版画が看板代わりとなっているし、「良い仕事をする」というのは本当だったな、と毎日感じています。どうしてかわからないけど飽きない、本当に不思議な作品です。

 

 

岡村吉右衛門は、鳥取県の出身。当時鳥取には吉田璋也という民藝の名プロデュサーがいました。僕がお店を始める前から憧れた人物です。吉田は敬愛する柳宗悦を山陰へと招き講演会を開催します。この講演会に参加した岡村は「民藝」に衝撃を受け、在学していた鳥取二中を(現・鳥取東高校)を中退。柳宗悦を尋ね、柳の紹介状を手に人間国宝となる芹沢圭介の工房に入門します。徹底的なフィールドワークを基礎として民族や工藝を調査し作品を作るスタイルで「材料的な知見」にも優れていたように感じます。今日のデザインにありがちな上澄みを膨らませるような嫌らしさがなく「染技と論考」を一生の方針としして貫いた人。

 

知れば知るほど、この作品が自分の手元にあることを嬉しく感じ、僕は「店と論考」を一生の仕事の方針にできれば良いなと思うようになりました。

それは「店という職業からしか見えない世界」を言葉にすることで、Made in Local.という連載は、モノありき、モノの心から紐解いてゆくエッセイです。

民藝的な見立てで徳島を見つめたとき、どのようなものが浮かびあがるだろう?

 

それは、たとえ近い題材であったとしても研究や観光とは違う。

教育の本来あるべき姿や、人が成長してゆく過程での「経験」「気づき」に近いものであって、生まれたものから遡ってゆく見立ては、ある意味「デザイン的」とも言える。

大事なのは「直下に観る」こと。

 

なんて、また面倒くさい話になりました、何言ってるかわかんないですね、すみません。

 

 

 


あなたの仕事はどうですか?


社会に対するメッセージを伝えたいというか、気づいて欲しいという気持ちが出過ぎて、入稿段階で毎回、何かしらの問題が起こる、、編集部さんにはご迷惑おかけしています。

僕は腐ってる姿勢を批判することも時には必要だと考えているけど、そんな汚れ仕事は誰もがやりたくないし損だとわかっている。


見て見ぬ振りをすることについては批判はできない。けれど僕らは社会に対し責任のある年齢になったと思うし、その連続で作られる社会や価値観で苦しむのは、僕らの次の世代だ。その姿勢を変えるきかっかけくらいは作りたいから、エネルギーの向かう方向を間違えず「道標」となる仕事を必ず残します。

 

下手くそが上手い奴と同じ練習してても試合には出られないもんですが、

いつか僕も160kmを投げて、ホームランを打ってみたい!

なんて叶わぬ夢を抱きつつ次回の原稿も入稿が完了。ど下手クソの全力投球を楽しみにしていて下さい。



 

photo 生津勝隆

 

 

感染症の流行は、私たちの社会と経済の弱点を露呈させ、政治の不誠実さを浮き彫りにした。

今、社会と繋がる仕事は、その活動における純度が求められている。

 

あなたの仕事はどうですか?

bottom of page