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ふるさとの凧に寄せて。

雑誌民藝 853号「ふるさとの凧」に寄稿させていただきました。

 

今回は徳島市佐古にある「阿波奴凧製造所」を取材させていただいております。

以前寄稿させていただいた814号も入荷していますので、併せてご一読いただけますと幸いです。

 

 

 


雑誌民藝編集部の村上さんにお声かけいただいた当初は「もう徳島には残ってないのでは」というお返事をさせていただいていたのですが、現在も製造している1軒が徳島市内に残っているとわかりお伺いしました。

 

取材を通じ昭和30年代まで徳島が凧の一大生産地であったことや、また814号で取材した渡辺さんから材料の供給を受けていたことも嬉しい驚きでした。ただ現在「ここで作っているものがすべて民藝か」と言われると少し違うけれど、自然材料から生まれる曲線、それを引き出す職人の手捌きにはぐっと心が動きました。

阿波奴凧は、阿波藍と同じように地元の宝のような仕事です。これからも続いて欲しいと思います。

 

 

 

 


お店を10年以上やってますが、「民藝」とは何か?について言葉で説明するのは困難で、、僕自身もわかっているようでわかってないです。ただ対象物を取材して文字に起こす作業をしていると、その輪郭を朧げに感じる(観る)ことがあります。その瞬間の煌めきというか「心に染み込む何か」が手応えとなって自分が前に進む滋養を得ている気がします。(それは柳宗悦が見ていたのはこれかも!という手応えでもあります)

 

これまで、雑誌民藝と、めぐる、Made in Local. で同じ題材を取り上げたことはないのですが、より深く知りたい、もっとこの仕事が続くように応援したい、そんな気持ちから、Made in Local.でも「阿波奴凧」を取りあげてみたいと考えています。(ネタバレはあかんけど)あえて同じ題材を取り上げ、違う角度から観ることで(それが可能なのか、やってみないと分からないけど)民藝とは何か?その輪郭を感じる機会になれば嬉しい。

 

 

 

  

これがベストとは思ってないし迷いもあるけれど、現代においては「民藝とデザインを並べ」視覚化するような外側からのアプローチもあっていいと思う。実際に僕の店の売場は自然とそうなることが最大の個性になっているのだけど。ただこういった品揃えや展示は「誤解を招きやすい」ことをよく理解しておく必要があると、常々考えている。

 

それは「上からの物言い」に見えること。

 

選ぶ側や展示する側(取材・編集する側)の力を誇示しようとするのではなくて、先ずはその仕事を続けてきた人に対する敬意を伝える姿勢こそを示したい。ただ与党の国会議員が自分たちを律することができないのと同じで、大きな組織にいて生活水準が高い人には、土足であがり込まれ側の痛みはわからない、そもそも上がり込んでいることに気づかない。僕が取材先で戦争の話を聞きくのは、この国の成り立ちを理解したいことと、自分自身への戒めでもある。戦時中のことを学び、よく理解している政治家や公務員がどのくらいいるのかわからない。

 

地元に寄り添うような編集、時代が求める並走するデザインとはなんだろうかと考えるとき、僕は器の中に入って「内側から器の壁を見て触れて確認する」ような作業なのだと考えている。うーん、これ何をいってるのか全くわかりませんね・・・今地元に残る手仕事を民藝的に解釈した文章を残したかったけど、最後はまた戦時中の話になってしまった。受け入れていただいた編集部の皆様に感謝申し上げます。

   間違いなく言えるのは、僕にとって「取材は貴重な学びの機会」であるということです。

デザインと民藝、文章と売場、理論と実践、怒りに疲れ横たわる心を揺さぶり起こし、また次の取材に挑みます。

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